金沢徒然その1・・・ 友禅斎はイラストレーター
◆花鳥山水友禅掛幅 制作年代18世紀 カメリアイン雪椿所有

友禅斎はイラストレーター・・・

 湯から上がれば、女は煙草盆片手に散らしを汲みて、一しほ水際を立てもてなす風情、似せ友禅絵の扇にして、涼風を招き、後ろに廻りて灸の蓋を仕替へ、鬢のそそけを撫で付け、当座入の人は鼻であしらふなど・・・
(好色一代女 小歌の伝受女 井原西鶴作)

 浮世草紙、井原西鶴が描かく当時の風俗の中に度々友禅扇のことが出てきます。御影堂の扇と共に偽ブランドが登場するほど友禅扇はもてはやされていました。京での宮崎友禅斎は「洛東知恩院前扶桑扇工友禅」と名乗りながらも、ただ扇工としてのみならず多くの「友禅ひいながた」(流行の模様集)を刊行するなど服飾デザイナーとしての確固たる地位を築きます。
 元禄時代の終わりと共に、能登の出身といわれる友禅斎は六十歳にして金沢に帰り、少年の頃から二十代を弟子入りしていた紺屋棟太郎田屋に身を置きます。そこで加賀お国染に京風の絵画的デザインを持ち込み完成したのが友禅染といわれています。